ジュンアシダ

ジュン・アシダ:jun ashida ジュン・アシダ・ブランドの創始者、芦田淳は1930年、京都に生まれる。48年から画家、ファッションデザイナー両方の肩書きを持つ、中原淳一のもとで修行を積んだ後、63年に自社メゾンを設立した。66年から妃殿下の専任デザイナーを務め、その優美かつ実用的なフォルムが認められ、十年以上にわたり、皇室関係者、各界の著名人などを顧客とし、その溢れんばかりの才能をふるい高級ブランドの地位を確立した。 社交の場で活躍する人々が顧客リストの大半を占めている為、手掛ける服はオートクチュールがメインだが、ジュン・アシダのデザインはかしこまった、硬い印象を受けるだけのものとは一線を画し、エレガントな中にも軽快でアクティブな要素が宿る別格のものだ。その様は各界で開かれるパーティー会場を明るく華やかに演出して見せた。 1977年にパリ・コレクション・デビュー。上流界の中で培われてきたジュン・アシダのデザインがファッション界で認められるのにはさほど時間は必要とせず、89年にはパリの高級ブティックが立ち並ぶフォーブル・サントノーレに店を出すまでに至り、ジュン・アシダの持ち味の高級感と実用性とを兼ね備えたデザインは、様々なシーン、企業から求められるようになり、帝国ホテルや全日空のユニホームのデザインなども手掛けるようになっていった。 1991年には次女の芦田多恵が“ミス・アシダ”でデビューを飾り、女性誌などに多く取り上げられるようになり、ファッション・リーダー的存在としても多くの支持を集め、父のジュン・アシダ・ブランドの格調の高さ、風格などを継承しつつ、若い層の想いにも対応した、より柔軟性のあるデザインを打ち出し定評を得ている。 1994年にはジュン・アシダ・ブランド生誕三十周年を期に、社団法人科学技術国際交流センターに芦田基金を設立。青少年育成教育などに大きく貢献することとなり、これはデザイナー、ジュン・アシダではなく、人と未来を想う一個人、芦田淳の人間性が浮き彫りになった出来事でもあった。 ジュンアシダ ブランドヒストリー