アズディンアライア

アズディンアライア:AZZEDINE ALAIA アズディン・アライアはチュニジア共和国に生まれ20代の時にパリのギ・ラロッシュの工房でオートクチュール(高級オーダーメイド服、オートクチュール協会の加盟店そのものを指す場合もある)の手法を学び1980年に独立、80年代のファッション界に大ブームを巻き起こしたボディコンシャス、即ち“ボディコンスーツ”を手掛けるのである。 ボディコンスーツは従来の服に身体を押し込む事により理想的なラインを形成する物とは全く異なり、服を女性の美しいラインを際立たせる為のアイテムと捉え、余計な装飾を排除した方が、むしろ女性特有の美しさが発揮されるといった概念の基に構築されている。 そのシンプルなデザインを構築するにあたり、アズディンアライアが最も拘った部分は素材であり、ストレッチや透明感のあるニット等を巧みに使用したその様子は衣服を身にまとっていない時よりもセクシーに見える演出効果を放ち、ボディコン・スーツは見るものを圧倒し、その斬新なフォルムは一躍大人気を博す事となった。 この影響は日本にも及び、ボディコンスーツを身にまとった女性たちが急増し、夜ともなればディスコ(今でいうクラブ)でクイーンさながら踊りまくるといった現象が連日のように続いていった。 しかし、90年代に入り高景気の波に乗り踊り溢れていたバブル期が過ぎ去ると共に、アライアはコレクションの参加を辞め、モードからも遠ざかり、自宅兼工房で顧客を選ぶ経営スタイルに切り替え、大量生産からも手を引いてしまう。 そんな彼だがファッション界はもとより世界的にみても社会現象にまで及んだ彼の作品は偉大で、1998年、オランダのフローニンゲン美術館で行われた“Marseilles in DATE”展で、ピカソの作品と共に彼の作品が並べられ、2000年、ニューヨークのグッゲンハイム美術館では、アライア回願展が開催されるなど、周囲の彼への評価は絶大で、モード界への復帰を願う声も次第に高まっていった。 そういったことが反映されてか昨今、あのプラダ・グループとの契約が決まり、プラダのオーナーであるペルテッリによるアライア財団の設立や、強力なバックアップにより、再びアライア独特の発想能力による、身にまとう人を際立たせる事を重点に置いた革新的デザインの数々が世に再び御目見えする事になったのである。 アズディンアライア